ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

覚悟を決めろ。

 最近Twitterで来期以降のコンサドーレについて議論することが多くて、そのなかで自分が前から考えていたことが言語化出来、ひとつの線に繋がったような気がするのでブログに書いておくことにする。とても140字の連続投稿では収まらないので。

 こういう議論でよくあるパターンは「結果が出ていない上に前年よりも悪化した石崎監督を続投させるなんてありえない」「チームがどういう事をやりたいのかがわからない」「何がなんでもJ1昇格しないと意味が無い、勝たなければ意味が無いのだ」という意見に対し「そもそも戦力が前年より落ちている」「監督の責任ではなく選手の責任だ」「J2で成長して上に行かねばまたすぐ落ちるだけだ、それこそ意味が無い」と言った意見の応酬である。挙句の果てに石崎のサッカーはつまらない、いや三浦のほうがもっとつまらない、とかなんとかって話になったりもする。まあ、個人的には後者の意見だが、前者の言いたいこともわかるし、ここまで言ったようなことは単なる好みの違いであるような気がする。

 ただ、今挙げたようなどっちの立場であろうと、俺たちコンサドーレの近未来的な目標は「J1である程度の期間戦えるチームを毎年作り上げること」にあるということは変わらないように思う。「とりあえず昇格して欲しい」派だって「上がったらすぐ落ちてもいいよ」って思っているわけではないだろうし、逆に「力をつけてから昇格すべき」派だって「永遠にJ2の真ん中あたりで力つけてればいいのか」って思っているかといったら違うだろう。もちろん、目標設定自体も、最終的な目標としてJ1で上位進出してACL行くとか、もっと近い目標としてまずは昇格するとか、いろいろあるわけなんだけども、中期的かつ現実的に考えられる、ちょっと難しい目標(目標設定はそれくらいが正しいと読んだことがある)は「基本的にはJ1に定着するチームづくり」にあるということだ。

 では、そういう前提のもとで、じゃあコンサドーレとしてどうしていかなくてはいけないかって言うと、「覚悟を決めて1つの道を歩む」事ではないだろうか。例えばこれが、J1で優勝を狙うチームであるとか、ACLで優勝しようとか、そういう目標設定をする立場にあるクラブならば、近視眼的なチームづくり、向こう1年や2年で結果を残すためだけに、やり方を大きく変えてみたり、選手を大量に入れ替えてみたり、と言うような方法でチームを作っていくことはあるだろうし、それできちんと結果が出ることもあるだろう。
 しかし、コンサドーレ札幌は残念ながらそういう目標設定は出来ないチームだし、だとするならそういう近視眼的なチームづくりはしてはいけないのではないだろうか。そのような方針がポンポン変わっていくチームにして、ただでさえカネもないヒトもいないような貧乏クラブなのに、自分たちのアイデンティティをコロコロ変えるようなチームにして、本当に「強く」なれるのだろうか。僕は否だと思う。

 サッカーの戦術的なことを考えても、石崎監督のやり方であったり、三浦さんのやり方であったり、その前のヤンツーさんのやり方であったり、方法はいろいろあるのだ。サッカーの正解は1つじゃないのだから、石崎さんが全て正しくて三浦さんがすべて間違っているようなことも、その逆のようなこともない。ただ、続けていって、より成熟したときに「J1に定着する」程度の目標を達成できないようなやり方をしていた監督は1人たりともいなかったと自分は思っている。誰にしろ時間はかかった(かかる)だろうが。実際彼らは日本最高の監督ではないかもしれないが、よそのチームでも充分結果を残してきた監督だし、他所のチームからオファーだってあるような監督たちなのだ。じゃあその人達が札幌では充分な結果を残せていなかったのだとしたら?それは監督の問題ではなく、チームの問題だ。(まったく監督に責任がないわけではないが、どんな監督だって長所と短所があるのだ…)1人の選手に左右されるサッカーが決して長続きしないように、1人の監督に大きく左右されるようなチームだったとしたら同じく長続きしないだろう。

 だから、コンサドーレ札幌のサポーターに強く主張したい。「覚悟を決めて一歩一歩進んでいこう」と。俺達が見なくちゃいけないのは、直近の何試合かの結果や順位ではない。そんなものはどの監督のどんなやり方であれ、「チームが正しく監督のやり方を理解し、積み上げられている限り」間違いなく付随してくる。少なくとも一定のところまでは。だから、その根元を見続けよう。「チームが今進んでいるはずの方向に正しく歩みを進めているか」そこを見て評価しよう。もし正しく進めていないのなら、それを直すべく応援したり、主張したりしよう。
 俺達がやらなきゃいけないことは、目前の結果を得るためだけに進む方向をクルクル変えることではない。進む方向は、どういう方向であってもいいのだが、1つだ。今、石崎さんが監督をやっているってことは、今目指しているサッカーが今後50年、100年のコンサドーレのサッカーになるってこと。別にそれが三浦さんのやり方であろうが、ヤンツーさんのやり方であろうが、そんなことは関係ない。どのやり方でも、一定レベルまでは強くなる。だから、そういう覚悟を決めて、応援し、ズレてきたら、修正するため声をあげよう。それを続けよう。必ず「強く」なるよ。


追記(2010/12/13)
正しい方向に積み上げられているかどうか、のみを評価基準とする場合、当然ながら「理想としてはどういうことをやりたいのか」「今はどのあたりまでは出来ているのか」ということを見ていかなくてはいけない。つまりサッカーをきちんと知らなくてはいけないし見なくてはいけないってことだ。それだけサポーターにも、フロントにも見る目が求められる。

追追記(2010/12/14)
つまり、今年のコンサドーレの結果にも、サッカーの内容にも満足しているわけでは決してないことはご理解いただけると思う。ただ、その解決策として、今年とやり方を大きく変えよう、というのは違うと言っているのだ。今の石崎政権が遅かれ早かれ終わるときは必ず来るが、その時に例えば三浦さんのやり方に大きく舵を切るのは違う、という話でもある。それは三浦俊也石崎信弘の目指しているものがいいとか悪いの問題ではなく、コンサドーレがそうではないやり方を選んだクラブだから、石崎サッカーを継承し、目指していた方向に成長させていける人を次の監督に選ぶべきだし、その次の監督もまた同じようなマインド・考え方をもった人を選ぶべきだということだ。