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ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

サポーターじゃないと駄目なんですか?(c.v.蓮舫)

ある程度皆様も御存知の通り、先週土曜のFOOT×BRAINでサポーターについてやり、まあそれに乗っていつものようにアシシさんがサポーター論を語るという展開なわけですが、そこに更にめずらしくフモフモコラムの人が乗って来まして、どの方のご意見も大変興味深いなと思う次第であります。

 んで僕はなんですけど、『サッカー見てる人=サポーター』みたいなよくわからん考えがあるからサポ論ってどんどんおかしくなるんじゃないのって思うんです。年に1試合も見ないけど彼氏が代表戦行きたいって言ってチケット2枚取ってきたからサッカー見に来ましたって女の子がいたとしてだ、それは全くサポーターじゃないと(俺は)思うよ。で、サポーター論って言ってそういうただの見に来てる人たちを論じるからおかしなことになる。だってこういう人がウッチーってのかっこいいね!きゃーになるのは当たり前じゃん。アイドルのコンサートになって当然でしょう。

 そういうのを見てね、「日本のサポーターは」って、サポじゃないんだから「サポーターとは!」みたいな議論に入れたらアカンのですよ。それは彼らにとっても本意ではなかろうと。「別にサポーターとかじゃないし!彼氏に連れて来られただけだし!」って逆に膨れられるんじゃないですか?

 実際、「サポーター」なるものを名乗れるにはそれなりに大変ですよ。簡単に言うと、あるチームを「好き」なだけでは駄目で、それなりの形を持って「サポート」してなきゃいけないわけですよ、サポーターなんだから。そしてサポーターであるために欠かせない条件ってなんだろうと考えたら、絶対に必要なのはゴール裏で飛び跳ねて応援することでも、金を出してSS席に座ることでも、ファンクラブに入っていることでも、年間10試合以上見ることでもなく、「俺はこのチームをサポートしたい」って気持ちが心に日常的にあり続けることじゃないだろうかと思うわけです。つまり、チームがその人の生活に根付いている状況になってないと、「サポーター」とはいえないのではないだろうかと。ゴール裏で歌って跳ねて応援するとか、SS席を使うとか、ファンクラブでお布施するとか、試合たくさん見るとか、それはその気持ち、愛の発露なわけですね。日常に根付いた愛の発露がサポートなわけです。だからその発露の方法がいろいろあるのは当然なわけです。でも、じゃあその気持ちがナチュラルに日々の生活に根付いている人って、どれくらいいるでしょうね?そうはいないんじゃないですかね。それに、そうなりたいって人も、それほど多くはないんじゃないでしょうか?例えば典型的なコンサドーレサポーターである僕の生活にコンサドーレがどのように根付いているかというと、

昼休みなど暇な時間はかなりの割合でコンサのことを考えている→ネットを見るときはとりあえずコンサドーレ公式ホームページを見たくなる。なにか新しい情報がないかなとワクワクしている。ついでにTwitterでコンサのことをつぶやいたりもする。→寝るときもコンサのことを考えている→お正月とかのお願いごともコンサのことが必ず入っている→必然的に週末は飛行機やバスをも駆使して試合を見に行くことになる

 ざっとこういう感じになります。羨ましいですか?羨ましくないでしょ、別に。でもチームを応援する気持ちが生活に根付くってことはこういうことです。もう一つ例を出すと、前述のアシシさん。彼は熱心な日本代表サポーターだと思います。代表のために仕事をし、代表のスケジュールにあわせて生活をしている。年の3分の1を代表のために犠牲にすることも厭わず、ついには定住も捨てて、暮らしているわけです。普通できます?無理でしょ。でもこれはアシシさんの日常に日本代表というチームをサポートする気持ちがあるから、できることなわけですよ。人は時に愛の為にはめちゃくちゃなことができます。
 でも、多くのサッカーを観戦している人は、そうではないでしょう、と。日常にチームが付随しているなんてことはなく、ただ少しサッカーが好きなだけじゃないですか?あるいは代表戦の時だけ、試合の時だけがんばれーって思ってハラハラして見るくらいじゃないですか?ほとんどがそうじゃないかと思います。
 そこで僕は問いたい。サポーターじゃなきゃ駄目なんですか、と。なにも上述の俺のように日常にチームが根付いていなくても、試合を見に行くことはできます。サッカーを好きでいることもできるし、あるチームを好きでいることもできます。ましてやサポーターじゃないからと言って試合会場やその他の場所で軽んじられる理由など全くありません。さて、それでもあなたがサポーターである必要性はありますか?「サッカーが好きな人」それで十分ではないでしょうか?もし、「サッカーが好きな人」のまま、どこかのチームを深く愛し、朝起きても昼飯食ってても夜寝転んでてもそのチームのことが頭の何処かに残っていて、応援し続けたいと思うようになったのなら、そこで初めて「サポーター」を名乗ればよいのではないでしょうか。繰り返し言いますが、サポーターになる必要性と、サポーターではないからといって試合会場その他で軽んじられるようなことは、どちらもないということです。サポーターなるものの括りは狭くあるべきです。でも、サッカーはサポーターじゃないあなたにも開かれている。選手やスタッフやサポーターはもちろんのことですが、サポーターじゃないひとによっても、サッカーは支えられているのです。それが地域に支えられるということなのです。だからサポーター論とかはどうでもよくて、サポーターじゃない人も、これからもサッカーを愛して自分なりに楽しんでって貰えれば日本のサッカーはもっと良くなるんではないかなあと思うわけです。