ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

W杯、日本敗退。

 悔しい、本当に悔しい3試合でした。ただ、3試合目についてはできることを全てやり、その上で前がかりになってしまったがために、相手のスピードある個人にあっけなくやられてしまう、というサッカーでは本当によくある展開で、3試合目のコロンビア戦についていろいろ言うのは間違っていると思います。

 やはりもっとも大きな問題は1試合目のコートジボワール戦にあるでしょう。なぜ先制したのに相手を押し込めなかったか、むしろ押し込まれてしまったか。なぜドログバが入ってきてわずか数分で2点を取られてしまったのか。もっと言えば緊張する初戦とはいえなぜあそこまで固くなってしまったのか。なぜ香川は、長友はあの試合でまったく輝けなかったのか。様々な部分に大きな失望を感じた試合でした。あそこで勝ち点3をとり、ギリシャとは最悪引き分け、コロンビアには負けても勝ち点4、というようなシナリオだったはずです。あまりに情報が入りすぎたのか。緊張したのか。コンディション調整に失敗したのか。それはわかりません。でも、あの試合については本当に悔いが残る、実力が出せなかった。これは間違いないと思います。


 と同時に、勝つか負けるかの差、それは本当に微々たるものだと思うのです。何かがちょっと違えば、何かがちょっと良い方に転べば、すべてが変わる。それもサッカーではよくあることです。日本が直前に対戦して快勝したコスタリカは死の組を勝ち抜きました。コスタリカと日本の間に、そんな歴然とした差があったでしょうか。特別なかったのです。それでも直接対決すれば3-1で勝つこともあるし、W杯の結果で大きな差が開くこともある。結果からすれば、今回は惨敗。じゃあ実力が惨敗レベル、最低レベルだったのか。出場国が32カ国あって、僕は32カ国ともベスト16に出る可能性があるチームが来ているとは思うのです。日本も絶対にそうだったと、それは間違いなく思うことです。微々たる何かが、本番にあったかどうかの違いでしかない。そういう意味では結果ははっきりしたものですが、同時に微々たるものです。


 じゃあ、我々ができることはその微々たるものに影響されない、全てにおいて確固たる何かを積み立てるしかないのではないでしょうか。選手がもっと進歩して(攻撃でも守備でも、複数人じゃなくてより1人で力強くどうにかしていく力持った上で、集団で戦うようになっていく必要があるかとは思う)、観客がもっと進歩して、「結果だけを見るんじゃなくてサッカーだけを見て」、評価していく。それを続けることが4年後になるか8年後になるか、20年後になるか32年後になるかはわかりませんけれども、必ず実を結ぶ日が来ると確信しています。


―高みに登る人は、皆らせん階段を使う:フランシス・ベーコン