ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

川口能活

 一度もうちのチームにいたことのない選手だが、彼については書かねばなるまい。

 

 そもそも自分とサッカーの出会いはJリーグ開幕前のナビスコカップ、そしてJリーグ開幕、W杯アメリカ大会アジア最終予選(要はドーハの悲劇)というところにある。当時小学校1年生、そして地元北海道にクラブが存在しないということもあり、自分たちは各チームにお気に入りの選手がいた。もちろん、日本代表の選手は人気者で、当時のほぼすべての男子小中学生が一度はカズに憧れたことがあるのではないかと思うのだが、実は自分がカズの次に好きな選手だったのがゴールキーパー松永成立と、リベロ井原正巳だったのだ。だから自分が初めて買ってもらったJリーグキャップはヴェルディではなく、マリノスだった。

 

 その翌々年のことである。日本代表でも不動の正GKだと思っていた松永のポジションをマリノスで急に奪い取ったまだ20歳の選手、それが川口能活だった。当時の自分は本当にびっくりした。だって松永が日本で一番のキーパーじゃん、と思っていたから。下川(市原)や前川(広島)、菊池新吉ヴェルディ)、古川(鹿島)なんかもいい選手だけど、僕の中では松永が一番うまいなとなんとなく思っていた。それがいきなり2年目のやつにポジションを取られるなんて。

 懐疑的な目で見た川口は、しかしすごかった。躊躇せず前に飛び出し、甘いマスク(古い言い方な気がするが当時は結構あっちこっちにこの表現が出ていたのだ)に似合わない攻撃的な守備をする、気迫あふれる選手。松永より「うまいか?」と言われたらわからないが、なんかすごい選手が出てきた、ということは感じた。

 

 その後コンサドーレが出来たので、僕の中の川口の印象はもっぱら代表のものとなり、そこはもう有名すぎて書く必要もないだろう。マイアミでベベットリバウドを止めまくってブラジルに勝ったときも、ジョホールバルダエイマハダビキアを止めて歓喜を起こしたときも、キーパーは川口だった。圧倒的な強さを見せたアジアカップ2000でもやはり川口がそこにいた。所属していたサッカー少年団でも、ちょっと背の小さな、しかし気の強い子がキーパーになった。

 

 ワールドカップでは正GKとして出場した2大会では奮闘するも勝ち星なし、一方楢崎や川島が出場し、自身がベンチだった2大会ではベスト16進出と、ワールドカップで運がある選手ではなかったが、アジアカップでは正GKとして2度の優勝。2004年のヨルダン戦でのPK戦は伝説的だった。

 

 華のある選手だったと思う。ゴールキーパーは華があることよりも、むしろ堅実にしっかりとした守備をすることのほうが大事なことも多いと思うが、絶体絶命のピンチの連続の試合でことごとく相手の攻撃を食い止めてくれるときのキーパーというのはやはり圧倒的にかっこいい。頼む、なんとかしてくれというときに絶好調の川口能活がそこにいること。その目力とともに、忘れられない選手だった。長い間お疲れ様でした。