ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

ゼロはない、という話

 例えば、100万件の似たような案件があったとする。ある方法を使うと、その99%はうまく解決できるが、0.9%には効果がなく、0.1%はさらに問題が悪化してしまうとする。このような場合、この解決法はどのように評価されるだろうか。

 1つには、99%がうまく解決できたのだから、総体的にはとてもうまくいっている、と評価することが出来るだろう。逆に、1000件もさらに悪化してしまうのでは困る、という評価をすることもできるだろう。

 今回のCOVID-19騒動に限ったことではないが、このような話は結構よく見られる。えてしてこういう場合には、うまくいっていない1000件がスキャンダラス的に取り上げられることは多い。また、1000、というのは実数的には多い数値だということもできる。ただ、その時にうまくいった99万9000が見られていないのもまたアンフェアではないだろうか。さらなる高確率で成功するような改善は求められるかもしれないが、そこだけに着目して針小棒大に騒ぐのも間違っているように感じる。

 

 

自分は案外トータルパッケージとしての自分の人生を愛していたらしい

 みたいなことに今日思い当って。

 例えばお気に入りのお店に飲みに行くってのは、「外の空気や季節を感じながら移動をする」「おいしいお酒や食事を楽しむ」「偶然出会った人や気心の知れた仲間と会話を楽しむ」「消費をする」のような多くの快く感じられる要素が絡み合っているんだな、ってことだと思ったんです。だから、今みたいに飲みに行けないってのはこういう要素を全部消されたような感じはする。そういう意味では、オンライン飲みはオンライン飲みで楽しかったりはするけど、これらの要素の代替には必ずしもなり得ないんだな、と思う。

 これは多分いろんなものがそうなんであって、だから自分は「1日中誰とも会話できない」みたいな個別の要素が現在失われていることに対してはそれほどつらさは感じない。けど、それらが組み合わさったトータルの何かが失われてしまっていることに対しては、つらいな、と思う。

 そういう意味では、これまで生きてきた人生の全体的な部分を、自分は案外気に入っていたんだな、という話だったりはする。1つの要素じゃなくて、トータルパッケージとして。

 

今、他国と比べるのはナンセンス

 コロナウィルスに対する対策が各国で異なり、また我が国は割とユニークな手段をとっていたりすることから、あの国に比べて日本はあーだこーだ、まあ主に中途半端な「出羽守」な方が多かったりもしますが言われたりしますし、逆に日本はすげーみたいな話も出てきたりします。

 

 しかし、個人的には現在の状態は他国と比べて評価する以前の段階であると思います。というのは、問題はどこの国においても現在の段階ではほぼ解決していないこと(現状最も収まっているように見える台湾でも、今後の大きな感染爆発の危険性は依然として残っているわけですから)、また各国それぞれ生活慣習、住環境など、違いが大きすぎるからです。

 

 コロナウィルスの問題は、サッカーで言えばまだ前半、仮にこの段階で勝っていようが負けていようが、最終的な結果が出るまではまだ長くかかります。各国の対応策に対する評価、それに対して本邦はどうであったかを考えるのは、早くてもパンデミック後、ということになるでしょう。もちろん、直近でどうなっているのか、対策がうまくいってそうなのかいっていなさそうなのかを考えることは重要だと思いますが、それはあくまで自国マターであって、他国と比べる段階にはないでしょう。

 

 また、当然日本と韓国と中国のような近い国ですら生活慣習や環境は大きく異なります。欧米やアフリカとはさらに大きく異なるのは言うまでもありません。当然各国政府は、自国の医療資源の状態、衛生環境、住環境など、様々なことを考えたうえで自国にとってベストだと思われるもの、あるいは取れる方策をとっていると思いますが、それもその国の状況によって大きく異なるのは言うまでもありません。

 

 こういう状態で、日本はこうだけどドイツはこうだぞとか、フランスはこうだぞとか、韓国はこうだとか言いましても、そもそもの前提条件が違うのだから異なる対策が取られていても何の不思議もないわけです。他国を見るなというのではありませんが、あくまでそういうのもあるのか、という参考程度であって、現状で比較して優劣をつけるのはあまりにナンセンスであります。