ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

ロングスパンで

 連日報道されるウクライナ情勢に心を痛めているのは自分だけではないだろう。日本で言えば先の大戦というのは約80年前の第2次世界大戦のことである。我々は平和な時代を生きてきた。もちろん世界ではその後もベトナムだの中東だので戦争はあったのだしルワンダでは虐殺も起こったしで、必ずしも平和でなかったことは知識としては知っているのだが、今回ほど「平和じゃなくなってしまったな」「第3次世界大戦とかもそのうち起こってしまうのかもしれないな」という思いになったのは初めてかもしれない。

 単純に平和が失われただけではなく、経済的な悪影響も大いに心配だ。収入が上がっての物価高ならまあ仕方ないと思うのだが、収入は変わらない(ないしは少し減った、先日行った確定申告によればだが)のに物価だけ上がるとなればこれはただ困窮するのみである。もちろん自分だけがそういう状況にあるわけではなく、周りの多くの人たちもそうなるのだから、金は天下の回り物である以上、自分のところに回ってくるお金も少なくなることは必然の道理であるが、到底明るい気持ちにはなれない。

 オミクロンになってまん防も終わりになりそうなコロナも、去年の11月ごろとは状況は全く異なると言わざるを得ない。少なくとも毎日の感染者が東京都内だけで数千人いる中では、まん防が続こうが終わろうが、という感じはある。自分の場合は当初から別に引きこもって暮らしているわけでもないし、ワクチンは打って(先日3回目を打つことが出来た)手洗いうがいはしたうえでなるべく普段通りに過ごそうと思っているし、それで感染したわけでもないので今後も続けていこうと思っているが、まん防が終了したとしても特別気分的に晴れやかな状態にはならないし、多くの人もそうだろうと思う。

 これでコンサドーレが開幕から4連勝でもしていれば、それはそれ、これはこれと思えたのかもしれない平和ボケな自分なのだが、残念ながら4分である。負けていないといえば聞こえは良いが、勝ててもいない。試合内容的にも「勝てたのに引き分けてしまった」のは先日のマリノス戦くらいなもので、他はなんとかかんとか引き分けたかな、という方がふさわしいように感じる。

 

 これらについて一つには、考えても仕方がない、という一種の諦観がある。世の中の多くのことは自分が何かをコントロールできるものではない。自分がコントロールできるのは自分のこと位なもので、それとて仕事の収入は先ほども書いたように周囲の金払いの良さ、つまり景気にしっかり影響されるのだから、私が何かをどうすることが出来るわけではないのだ。

 一方で、日本に生を受けて高等教育を受けたということだけで世界的にはトップクラスに恵まれている自分が、コントロール出来る出来ないにかかわらず世の中の事象をなんとかしようと思ったり、考えずにいるということ自体が良くないことだ、とも思う。そうはいっても事象に対する高度なインテリジェンスを持っているわけではないので何かできるわけではないのだけれど。しかし考え、何らかを言わないのは罪ではないのかと。

 

 全然話が違うようだけど、自分はなんだかんだで人類を信じているところがある。正確には人類の進歩を信じている。技術の面では当然そうだろうが、社会のありようでもそうだと思う。例えば18世紀の産業革命時のイギリスは世界に冠たる大国だった、しかしその時にイギリスの労働者の扱いがいかにひどいものだったか、世界史の教科書で読んだことがあるだろう。プーチンが今話しているようなことは今なら独裁的としか言いようがないだろうが19世紀なら民主的だったといえる。アパルトヘイトなんてものは1994年まで存在した。日本でも男女雇用機会均等法が成立したのは35年前だし、個人情報がまともに保護されるようになったのは2003年以降の話である。たまに昭和レトロとかいって昔を懐かしむようなものもあるけど、じゃあ周りの大人の男性がみんな喫煙者で、排気ガスはモクモクしていて、個人情報なんかろくに保護されていなくて、男女差別も(今もあるにしても)ずっと多くて、交通事故で亡くなる人も今よりずっと多かったという時代が、果たして本当に今よりよかったのかってことだ。

 我々は確かに右肩上がりの時代には生きていない。いい変化だけではないだろう、アップダウンは必ずある。去年より良くないな、5年前の方が今より良かったな、そういうことはいっぱい起こる中で今後生きていくことにはなるのだと思う。でも、10年単位、30年単位で見たら、絶対に10年前より進歩したところにいる、30年前より総体としては素敵な社会に生きている、というようなことは信じてもいいんじゃないかと思う。少なくとも過去の歴史はそう言っている。

 

 ウクライナも、コロナも、景気も、コンサドーレも、ちょっと見る時間軸を変えて、長期的なスパンで見れば、もしかしたら昔よりはずっとマシかもしれないし(少なくともコンサドーレは間違いなくそうだ、10年前はJ1で勝ち点14、開幕から1分け7敗の年なのだから)あるいは今はちょっとダウンな時期なだけで、この後のアップによって以前よりずっといい場所にいけるのかもしれない。ウクライナの人たちも、コロナについてもそう思えるような今後になったらよいと思うし、あまりダウンを大きく感じさせない今後であることを祈っている。

魅せろよ 俺たちを踊らせろ

 西大伍がとうとう帰ってきた。各種ポジションを高いレベルでこなせる西選手の加入は大変心強い。

 とはいえ、今年35になる彼に簡単にポジションを明け渡すようでは札幌もまだまだではないか。なのでこれまで西がプレーできるポジションでプレーしてきた選手たち、新人選手たちにより一層頑張って欲しいと思っているし、西大伍としっかり競争をしてほしい。そしてプレー面で多くを学んでもらいたい。逆に大伍にはこれまで強豪チームで経験してきたもの、学んできたものを存分に伝えてもらいたいし、その上で自分のプレーに更に磨きをかけてほしい。

 同じことは前線の選手たちにも言える。興梠とGX(ガブリエル・シャビエル)の加入で、前線の層は厚くなったといえるし、彼らはものすごい実力者だ。だけど去年のレギュラー選手たちはもちろんのこと、ドウグラスや中島大嘉など出番が決して多くなかった選手たち、檀崎やふじれんなど外で修行してきた選手たちは食らいついていかなくてはいけない。実力者たちに勝たなければ己の未来が危ういのだから。

 そして何よりもミシャにはこの健全で苛烈な競争をしっかりとリードして、コンサドーレの未来を築いていってもらいたい。

 

 『魅せろよ、俺たちを踊らせろ』は西大伍の歌だけど、いま選手みんなに伝えたい言葉でもある。がんばれ。

 

You’ve come a long way.

  You've come a long way.

直訳すると、「あなたは長い道のりをやってきた。」そこから転じて、会話では「あなたは大きな進歩を遂げた、頑張った」という意味。

 

 2013年、J2に落ちて強化費3億円だったチームが、J1に上がり、残留し、ルヴァンの決勝に進出し、強化費18億円と6倍の規模になったのは、間違いなく野々村社長があってのことでした。

 独特の胡散臭さ漂う語り口で、公表できるギリギリのラインの情報をサポーターに届け、ビジョンを共有し、「サポーターは一緒にチームを作る仲間」「スポンサーじゃなくてパートナー」という考えをクラブ全体に浸透させてくれました。

 「札幌はもっと上にいていいクラブ」と言いながら、「それを実現するためにはこれだけのお金が必要」という現実も常にセットで伝えて来てくれました。そのためにどうするのかをみんなで考えよう、みんなで作っていこう、という姿勢が社長就任時から今までずっとブレてこなかったことが、野々村社長の一番すごかったことなのだろうと思います。 

 

 ふと振り返ると、2001年にJ1に残留し、その時のキャプテンであったにもかかわらず戦力外通告、そして引退。今回はコロナ禍の中で、社長(会長)としてまだやるべきことが多かったところをチェアマン就任。野々村芳和という人は、いつも志半ばで次のステップに踏み出さざるを得ない人なのかもしれません。でも、毎回そのステップごとに一定の成果は出してきた人でもあります。次はJリーグを統べる立場として、また少し胡散臭い口調で我々Jリーグサポーターにビジョンを提示してくれることでしょう。

 

 You’ve come a long way,ノノさん。We both still have a long way to go.

行ってらっしゃい、またいつか。