ぉゔぇ記

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さよならだけが人生か

 ルヴァン杯の準決勝を勝利した後、いろいろともの思う日々を送っている。一つは、本当によかったな、とうとうここまで来るクラブになったんだなというしみじみとした喜びと感動である。もう一つは、これまでの選手やスタッフや仲間のこと、来たし方を振り返る気持ちだ。前者はいっぱいTwitterに垂れ流しているので、今日は後者のことについて書きたい。

 

 

 自分が関東に来てからコンサドーレの試合を観に行った最初の記憶は2005年だ。日産スタジアムで、横浜FCとの試合だった。上里一将がなんかすごいミドルを決めて勝った。2006年もやっぱり横浜FCとの試合を見た。今度は三ッ沢だった。ロスタイムに曽田雄志がトゥイードに競り勝ってヘディングで決めて勝った。味スタでヴェルディとの試合も見た。これもまた大塚真司がすごいミドルをぶち込んで勝った。一人で味スタへ行き、ガラガラのゴール裏の中央より後ろの方でまったりと座って観戦し、帰りの京王線であの16番のミドルすごかったな。空いたコースにきれいに決まったな、何て名前の選手なんだろうか、とiモードで調べたのを今でも思い出すことができる。

 

 自分はサッカーが大好きだったし、Jリーグも93年から見ていたし、コンサドーレも設立当初から応援していたが、部活だの学業だので忙しく、札幌にいた頃も現地で観戦するのは年2,3試合、という人間だった。ウーゴ・フェルナンデス時代も岡田武史時代も柱谷哲二時代も見ているが、2004年は全く見ていない。実はJ2最下位を知らないのである。試合結果には注目していたが、遠征など考えたこともなかった。選手の名前も全員は知らなかった。それこそ大塚真司さえ調べたくらいだ。(ただ何かで山形時代の大塚は見ていたのでアイツか!となったことは覚えている)東京にいながら、行ったことのあるスタジアムは味スタと国立と日産と三ッ沢フクアリだけであった。

 

 そんな自分を一気に引きずり込んだのは2006年の日立台中山元気のクソダサかっこいいガッツポーズ)と、まさかのベスト4に進出したあの天皇杯だった。前年の秋に1度オシムジェフが見たくて行ったことがあったとはいえ、当時の自分にとって2回も1人でフクアリへ行くのは冒険のようなものだった。相川進也のダイビングヘッドで千葉に勝って、次が新潟戦だった。

 

 一緒に飲んだことある人には何度か話している話だが、当日の自分は高揚していたのかもしれない。朝、新木場駅コンサドーレサポーターの老夫婦(と言っても60代前半くらいだったとは思うが)に「一緒に行きませんか」と話しかけ、一緒に京葉線に乗ってフクアリへ向かった。砂川誠の2得点と佐藤優也の自作自演のPK戦の末試合に勝ち、しかし冬の雨の寒さに震えて帰りの京葉線に乗ると、行きに出会ったご夫婦にまた出会い、「よかったね!次の準々決勝、仙台行くよね!?」と奥さんに話しかけられた。そしてその言葉にまんまと乗せられ、バイトで貯めた金で人生初の『遠征』をしてしまった。さらにネットで調べて、翌年始のコンサドーレ関東地区後援会の総会に参加し、たくさんの『ビョーキ』な皆さんに出会ってしまった。そして翌年の開幕戦、ムーンライトながらで京都へ連れ出されるのである。

  

 「さよならだけが人生だ」、と訳された詩の一節があるが、あの日自分を遠征沼に引きずり込んだご夫婦に、以来会ったことはない。関東の仲間にも、疎遠になってしまった人もいる。他界してしまった方もいる。サポーターだけではない。2006年の天皇杯を戦った選手たちで、今もチームに残っているのはU-18コーチとしての砂川誠だけだろう。流れの早いサッカー界の時間において、選手やスタッフはすぐに変わっていく。今年のチームも、3年後には何人が残っているのかなんて、誰にもわからない。「さよならだけが人生」なのだ。

 

 しかし、あのご夫婦がいなかったら、あの時天皇杯を3つも4つも勝たなかったら、あの時関東の『ビョーキ』な先輩方が自分を迎え入れてくれなかったら、自分はおそらくこうやって応援していない。サポーターの中にもチームが強かった時に注目し始めた人もいるだろう。誰かのプレーで引きずり込まれた人もいるだろう。友人や恋人に誘われて、以来応援し始めた人もいるだろう。そう考えると、これまで選手たちも、監督たちも、スポンサー様も、仲間たちも、自分や誰かやクラブに、時にそれは賽の河原の石積のようだったかもしれないが、何かしらを足して、今ここに我々が、素晴らしいファイナリストとしているはずなのだ。

 

 願わくば、何かを加えた全ての仲間たちが、コンサドーレを見てきて、コンサドーレと契約した過去があって、よかったと思える土曜日でありたい。過去にコンサドーレにかかわったすべての人の思いが結集したスタンドが見られる土曜日でありたい。それを受け止めて選手たちが躍動する土曜日でありたい。そうなったときにきっと、さよならだけが人生だったとしても、それがあったからこそのコンサドーレだったんだ、と言えると思うから。