みたいなことに今日思い当って。
例えばお気に入りのお店に飲みに行くってのは、「外の空気や季節を感じながら移動をする」「おいしいお酒や食事を楽しむ」「偶然出会った人や気心の知れた仲間と会話を楽しむ」「消費をする」のような多くの快く感じられる要素が絡み合っているんだな、ってことだと思ったんです。だから、今みたいに飲みに行けないってのはこういう要素を全部消されたような感じはする。そういう意味では、オンライン飲みはオンライン飲みで楽しかったりはするけど、これらの要素の代替には必ずしもなり得ないんだな、と思う。
これは多分いろんなものがそうなんであって、だから自分は「1日中誰とも会話できない」みたいな個別の要素が現在失われていることに対してはそれほどつらさは感じない。けど、それらが組み合わさったトータルの何かが失われてしまっていることに対しては、つらいな、と思う。
そういう意味では、これまで生きてきた人生の全体的な部分を、自分は案外気に入っていたんだな、という話だったりはする。1つの要素じゃなくて、トータルパッケージとして。