ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

同じ時を見てた

 

今シーズンも、昨日の浦和戦をもって無事終了することが出来ました。コンサドーレの選手、スタッフの皆さん、本当にお疲れさまでした。そしてサポーターの皆さん、今シーズンはいろいろ消化不良だと思います。来シーズン、いつかどこかでみんなで集まれるように、健康に留意しお過ごし下さい。

 この記事は 北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2020 の記事です。他の日の記事もとても面白いので、是非読んでみてください。

 

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 老害サポという言葉がある。

 ほとんどの場合、現実に害を及ぼしているわけではない。なんなら初老ですらなかったりもする。なので、『老害』と呼ぶのは言葉としては全くふさわしくないのかもしれない。インターネット老人会、みたいなものだ。ピーピーピーガーっとモデムが鳴ってインターネットにつながっていた時代が忘れられない人たち。話がそれた。要は、昔からチームを応援しているおっさんおばさんは、若いサポーター(特にこの2,3年応援し始めたような人たち)から見たときにちょっとめんどくさいところがある、くらいのニュアンスでとらえてくれればよい。なぜめんどくさいかって?そりゃいろいろあるけど、やっぱり一番は昔語りが過ぎるからじゃないだろうか。今は今なのであって、昔は昔なんだもの。お前の昔話なんて、いらねえんだよって。なんならその話は5回目だぞ、と。

 

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 「しゅん君、それは老化だよ」とスポンサー企業に勤めるサポーターの友人は、ホーム最終戦後に琴似のラーメン兼鴨鍋屋で鴨鍋にネギを入れながら言った。2018年あたりの選手の背番号より2007年の選手の背番号を覚えているのは、脳が老化しているのだという。老化か。なるほど、そうかもしれない。個人的には自分がミウリスタ(三浦俊也研究家)だからだと思うのだが。だって、2018年って河合がまだ4番だったか菅が4番にもうなってたかちょっと怪しかったりしないか?2007なら曽田雄志一択じゃないか。

 

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  「まあ、背番号はともかく、よく覚えてる年が必ずしも最近じゃないことはあるよねー」ともう15年の付き合いになる人妻が言う。「ほらあたしなんて96年から応援してるからさー」彼女の場合は法政大学や菊岡拓朗や松原修平の試合のほうが記憶が残っているところもあるかもしれない。そういうパターンもある。

 

 僕は問うた。「2020年ってさ、何年後かに思い出したときにどの試合を思い出すのかな、アウェイの川崎戦は決まりとして。去年ならルヴァンじゃん?あと8-0清水」「わたしは清水は大体覚えてるけどね」 「やっぱ鹿島戦じゃない?んで、後で『あの時カシマスタジアムにいた』って言うヤツが出てくるんだよ」「無観客で誰もいないのに」「ルーカスのゴールすごかったぜ、何回もフェイント入れてさ、俺ゴール裏じゃなかったけど思わず立ち上がっちゃったよみたいな」「知ってるか?あの年は鹿島にダブル、いやトリプルだったんだぜって」「ハハハ、マジで老害だ(笑)」「あとはさ、ホームの鹿島も太鼓が解禁されたし」「あースタジアムの雰囲気がね」「そうそう」

 

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 老害サポーター同士の話は尽きることがなかった。 かつて嵐の厚別であった熊本戦のしょうもない失点の話。砂川誠西谷正也の話。Kappaとミズノの話。岡本ヤスのゴールパフォーマンスの話。4勝2分28敗の話。ロマンあふれる助っ人外国人たちの話。岡田クン(断じてメガネの監督ではない)と、彼のカフェの話。コンサドーレとサッカーのことなら、いくらでも話せるのだ。そして、きっとコロナ禍の今年じゃなかったら、こんなにコンサドーレとサッカーの話はしなかっただろう。

 

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 彼らと別れ、ほろ酔いでホテルに戻り、溜めた風呂につかりながら考えた。

 チームが出来てからほぼ25年、個人的にまあまあ記憶があるところからは22年。アウェイ遠征とかするようになって14,5年。様々な人に会ってきた。亡くなった方もいる。もうスタジアムで見ないなって方もいる。昔は集まると自分がほぼ最年少のサポーターだったのが、自分より年下のサポーターもかなり増えた。集まりによってはほぼ最年長のこともある。チームと同様、サポーターも様変わりしている。

 

  自分より後輩のサポーターにどうしても伝えなければならないことなど、自分のような平凡な人間にはない。5回も同じ話をするほどの重要なことなどあるわけがない。ただ、ちょっとだけ先に生まれ、コンサドーレに出会ってしまったのだ。そうしたらそこは人生の喜びがいっぱい輝いていて、いや、つらい時期がなかったとは言わないというか、いっぱいあったけど、やっぱりあれを含めて楽しいコンサドーレだったわけで、そうすると語ることは尽きないのだ。

 

 

「本当は今を見なきゃいけないことはわかってるんだけどね」と前述の友人は帰り際に言った。「でも昔の楽しかった話って、めっちゃ面白いよね」

 そうだね。それは、僕らが見つめているものが、同じサッカーとか、同じチームとかではないからなんだと思う。

 

 

出会ってしまった僕たちは なぜか不安だいつも

夢を見れず泣いた日も 僕は君の味方

 

出会ってしまった僕たちへ 「どんな未来を描く?」

出会ってくれてありがとう 君に会えてよかった

 Going Under Ground/同じ月を見てた)