昨日、シン・エヴァを見た。
これを書こうと思ったのは、今日書かないともう自分の気持ちが変わってしまうと思ったからだ。それで、ネタバレなしでかける自信がない。ので、ネタバレはありにさせてもらう。なので、見ていない人は今すぐ帰ってほしい。てか、タイトルでネタバレありって書いてるのに未見で見に来る奴はバカだろう。バカシンジ。見てないのなら帰れ。それで、見てから来い。
自分は別に熱心なエヴァファンというわけではない。TVアニメの時は小学生だったので、見ていない(後になって見たけど)し、旧劇もろくに見ていない。だから、見たのはほぼ新劇という感じだ。だから考察とかするような技量も持ち合わせていない。生粋のエヴァファンには大変申し訳ないが、しかし一応新劇(とTVアニメ)は見たので、それで許してほしい。
この程度のファン(?)なので、シンの初日(3月8日)はガチの人に譲ろうと思った。僕は彼らみたいに25年も待っていない。14歳(主人公碇シンジと同年齢)でエヴァを初めて見て、今40歳、みたいな、完結していない青春を取り戻すんだみたいな人が、初日を見るにふさわしいと思ったわけだ。それで、Amazon Primeで見れる新劇場版の序・破・Qを1日1本ずつすべて見て(本当はストーリーをおよそ序は見ないつもりだったけど、見ておいた方がやっぱりいいかなと思って)、それで今日新宿バルト9で見てきた。IMAXとかではないので次はIMAXで見ようと思う。
それで、このようなライトなファンとしては、期待はあるが、不安もあったのだ。というのは、新劇場版Qは救いがない終わり方だったのだ。実に鬱鬱としていた。しかも、世界の説明とかもそんなにしてくれない不親切な映画なので、まあ正直よくわからない上に鬱っぽい、という映画だったのだ、Qは。それが良いという人もいるだろうが、すべてがよくわからないまま終わってしまうのだけは、これだけ長いシリーズの映画としてはいやだな、という期待と不安が結構大きかった。どのように決着してくれるのだろうかと。
もういいな?さすがにネタバレしていくぞ?
結論から言うと、泣いた。正直エヴァで泣くとは思わなかった。3回は泣いた。ニアサードインパクトとかよくわからん。アダムスの器とか言われても知らんし、ゴルゴダポイント?なんだよエヴァンゲリオンイマジナリーって。つまり、実はアニメのストーリーの軸となっている片方の部分は、やっぱり相変わらずよくわからんのだ。いや半分くらいはわかるような、でもちゃんとはわからない。答えが明示されるならそれはエヴァではないのだろう。仕方ない。それはこれまでのエヴァを擦り切れるほど見て、独自の考察をしてきた人たちだけが理解でき、そして理解すべきものだと思う。
けど、ストーリーのもう一つの軸は、確実に突き刺さってきた。シンを見る前、自分はTwitterにこんなことを書いていた。
エヴァってどんな話なのってのを140字や280字や420字で説明することは不可能なので、陰キャの中学生碇シンジがセカンドインパクトで人類の半数が死んだ世界で人類の進化(起源)をめぐる戦いに巻き込まれて、エヴァンゲリオンと一体化して使徒と戦わざるを得なくなった、くらいを知っておけばいいかと
— しゅんちゃま (@Consaneko) 2021年3月8日
はいカスー。はいゴミー。それ序くらいで終わっとるわアホ。
ぜーんぜん違う。シン・エヴァを見て言えることは、これは成長と救いの物語だった。成長は、「エヴァの呪縛」として本作で触れられる。つまり、シンジやアスカの外見が成長しないのは、我々観客の未成熟さなのだ。我々は「見た目は」大人になっているかもしれないが…しかしシンジやアスカが成長していないのは我々が成長していないのだ、と強く感じた。
第3東京村のやつらは違う。かつてシンジとともに中学生だったトウジ、ケンスケ、委員長らは立派な大人になっており、働き、子を育み、周囲とかかわり、生きている。彼らは同じ日々を繰り返してはいない。どこかで道を見つけ、そして大人になったのだ。(この村の辺、超ジブリっぽかった。庵野監督が風立ちぬでそっちに行ったことも影響してんのかな?)
その中で、鬱々としていたシンジは、周囲の優しさ(アスカはホントにツンデレだ)に触れ、そして、「どうしてみんなそんなに優しいんだ!!」と叫ぶ。あれがこの成長していない自分への終わりを告げる合図だった。つまり、可愛がられて優しくされていただけの子供シンジに疑問を持ちストレスを感じたことで、自分が周囲にやさしくし、責任を果たす大人シンジへと変身していく。
成長したシンジは、自分がエディプスコンプレックスだと思っていたのが、何のことはない、父ゲンドウも精神的に子供であることがわかっていくわけだ。実は大人だって、子供の部分があるんだという話。ゲンドウは、自分の弱さを成長した息子に吐露する。ミサトが親として子のいる世界を守るために特攻してガイウスの槍を作り死んだのと対照的に、いつまでもイマジナリーな妻を忘れられないゲンドウ。(この辺でグレンラガンっぽいなって思った)しかし、シンジの中に妻ユイを見る。そしてゲンドウは救われ、「大人になったな」と最後に老いた父親らしいこと告げ、人類補完計画から降りる。
ここら辺からかなりぶっ刺さりまくって結構涙流してたからちゃんと覚えてないところもあるんだが、アスカの魂が、カヲルの魂が、シンジとの対話によって救われて、そして去っていく。この去るのは「成仏した」というか、エヴァの世界からいなくなる、ということなんだろう。最後にレイに「エヴァはなかったことに」すると告げ、レイも円環の理を降りる。
そして、覚悟を決めて槍を自らとエヴァにぶっ刺そうとしたシンジを止めた、エヴァの中に取り込まれていた母ユイ。母は息子を見ていたのだ。ユイは息子を無償の愛で救い、夫ゲンドウとともに消える。(この辺で流れてくるユーミンがまたすごくいい。映画としてはここがクライマックス)
シンジは海の赤くない世界に戻り、そして「どこにいても必ず迎えに行くから。待ってなよ、ワンコくん」という告白をしたマリが迎えに来て、シンジの決断を受け入れ、エヴァを降り、エヴァのいた世界は終わる。
成長していくことで、ウジウジして自己愛は強いけどなーんにも出来ない碇シンジが、最終的には自分を救い、周りの人たちを救い、そして世界を変えた。そういう意味では実にベタベタのベタな終わりだったのだけれど、それで最後に流れてきた宇多田ヒカルの歌詞が刺さる。
Can you give me one last kiss? 忘れたくないこと
エヴァンゲリオンは世界からなくなった。 残るはキスの余韻のような、あったけどなかったという感覚。そう、エヴァンゲリオンはあったんだよ。ありがとう、さようなら。すべてのエヴァンゲリオン。