VICTORY is within US.
大変な地震が起こってしまいました。
もちろん自分自身が被災したわけでもないですし、親族や友人が怪我をしたなどの情報も特に入っていないですし、自分が真の意味での被災者なわけではないのですけれども、心の中にいつも北海道、札幌がある人間として他の地域の災害とは異なる感情が溢れ出てくる自分に気づき、やはり自分は極めてセルフィッシュな人間なのだなと思わずにはいられません。本当に心が痛みます。
電気や交通などのインフラにも多大なダメージが出ているので、今後の生活もなかなか思うようにならないところも出てくると思います。一日も早く元通りの生活を送ることが出来るよう祈っています。
VICTORY is in US.
こんなことに負ける北海道や札幌じゃないって。勝利を、我らに。
「代表する」ことがわからない者たちに国を代表する資格はない
以前、何かになぜ自分がコンサドーレにここまで心惹かれるのかを書いたことがある。端的に言えば、「選手は我々と同じように札幌の飯を食い、札幌の水を飲み、札幌の空気を吸って、札幌でサッカーをしている、札幌の代表だから」と言うことだ。そう、つまり「彼らこそ僕らであると感じることが出来る」から、僕はコンサドーレを応援している。
本来同じことは日本代表にも言えるはずだった。しかし日本を代表する彼らの一部と、彼らに関わる人間の一部は、そんな僕らの想いはどうだってよかったらしい。つまり、彼らは僕らではなくなってしまった。
何かを代表するということは、そこに付随する全員の想いを背負って、その上で自分のために行動できる人間にしか出来ないことだ。そうでなければ彼らは僕らたり得ない。国民の、応援している人たち全員の想いを背負って、自分の鍛え上げてきた技を発揮し、勝利のために懸命になれる人たち。それだから彼らはリスペクトされるはずなのだ。
チームの勝利よりも周囲の思いよりも私心が先にくる、自分の保身が先にくる、自社の利益が先にくる、そんな奴らがチームのためになんかプレーできるもんか。競技の強化に役立つもんか。競技を発展させることができるもんか。
クソくらえ、お前らに国を代表する資格なんかない。