ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

「代表する」ことがわからない者たちに国を代表する資格はない

  以前、何かになぜ自分がコンサドーレにここまで心惹かれるのかを書いたことがある。端的に言えば、「選手は我々と同じように札幌の飯を食い、札幌の水を飲み、札幌の空気を吸って、札幌でサッカーをしている、札幌の代表だから」と言うことだ。そう、つまり「彼らこそ僕らであると感じることが出来る」から、僕はコンサドーレを応援している。

 

 本来同じことは日本代表にも言えるはずだった。しかし日本を代表する彼らの一部と、彼らに関わる人間の一部は、そんな僕らの想いはどうだってよかったらしい。つまり、彼らは僕らではなくなってしまった。

 何かを代表するということは、そこに付随する全員の想いを背負って、その上で自分のために行動できる人間にしか出来ないことだ。そうでなければ彼らは僕らたり得ない。国民の、応援している人たち全員の想いを背負って、自分の鍛え上げてきた技を発揮し、勝利のために懸命になれる人たち。それだから彼らはリスペクトされるはずなのだ。

 

 チームの勝利よりも周囲の思いよりも私心が先にくる、自分の保身が先にくる、自社の利益が先にくる、そんな奴らがチームのためになんかプレーできるもんか。競技の強化に役立つもんか。競技を発展させることができるもんか。

クソくらえ、お前らに国を代表する資格なんかない。