ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

コンサドーレあっての自分、自分あっての…?

 また今年もAdvent Calendarのネタに困っているのです。

ふつうこういうのって最後に書いたりするんですけど、今マジでノープランでここ書いてます。締め切り今日だし。でもルヴァンの決勝のことはルヴァンの時に書いたし、またビールの画像載せるのもなあ。大体行ってる店が去年と大して変わらんし、っていう。

 

 そういえば日本代表、すごいですね。ぶっちゃけ日本代表戦なんてここ数年はアジア最終予選の一番やばそうな試合とW杯本番だけ見てりゃいいやって感じでしたが、コンサドーレの選手が選ばれて、先発して、ゴール決めて、となると親善試合も真面目に見ささる。もちろん彼らもまだまだ、代表でも絶対的な選手とは言えないですし、メンバーもフルA代表というにはちょっといろいろ足りない感じだったりします。もっともっと成長して活躍してもらわなければ困りますけど、「コンサドーレあっての自分なんで」って言ってくれたりして、サポーター冥利に尽きるじゃないですか。

 

うーむ…それだな?

 

 「コンサドーレあっての鈴木武蔵」なのは確かにそうだろうけど、僕らはあの言葉を聞いて「鈴木武蔵あってのコンサドーレでもあるぜ」って思ったじゃないですか。鈴木武蔵、のところが宮澤裕樹でも、チャナティップでも、ミシャでも、野々村芳和でも同じ。彼らはコンサドーレというクラブがあるから仕事ができ、輝くことができているし、同時にコンサドーレに、自分たちの力で貢献している。お互いがお互いのためになっている現状があるから、今チームはうまく回っているといえるんだと思うんです。 

 じゃあ、自分はどうだろうか。もちろん、コンサドーレを応援することが人生の一部になっている以上、「コンサドーレがあっての自分」なのは間違いない。じゃあ逆にして「自分あってのコンサドーレ」…まあさすがにこれは胸張っては言えないなw

 ただ、チケット代やグッズ代などの金銭面以外でも、愛するクラブに対して何かしらのプラスの役割が果たせていたら嬉しいよねって、今武蔵の言葉を考えてみて、思ったわけです。別に選手やスタッフのような大々的な貢献とかじゃなくて、微々たるものでも。

 

 今年もいろんなサッカーとか、ほかのスポーツの世界大会とか、五輪の話とか、あるいは他の娯楽とかを見てきましたけど、結局何がそれらを魅力的たらしめているか、となったときに「人の力」が大部分を占めているのだなと。もちろんコンテンツに魅力があるのはもちろんだけど、それを効果的に広めたり、良い印象を与えたり、というのはすべてそこにかかわってくる人なんだなと強く感じたわけです。

 例えばラグビーW杯では、ボランティアの方々がすごく親しみやすく、楽しめる雰囲気を作ってくれていたこと、そして海外から来たファンの人たちがみんなすごくノリノリだったことが、会場の楽しいお祭り的雰囲気を作り上げていたなと。サッカーだと、最近印象深かったのはマリノスの手書き看板でしょうか。

 

 これも、これを書ける職人さんの力はもちろんのこと、Twitter経由(だと思うんだけど)でこの方を知っていて、企画してオファーを出したマリノスの人の力も素晴らしいものがあるなと感じたわけです。会社組織の力もさることながら、1人1人の持っている力がスポーツやエンタメ業界は見えやすいのだなと。

 もちろん、今挙げたようなものは単なる観客の我々にできることではないわけですが、例えば誰かを観戦に誘うであっても、CVSを1試合やってみるのも、札幌ドームの雰囲気が良くなるように旗を作って振るであっても、周りの人が応援に溶け込みやすいような、入ってきやすいような雰囲気を少しでも作るのも、あまり観戦に慣れていなさそうな方が来たときにすっと座席を詰めるのも、そういう一人一人の小さなちょっとずつのプラスがクラブ全体のプラスになっていけたら素敵じゃないですか。

news.yahoo.co.jp

 仮にも日本で5番目に大きい街なのに、10番目なんだから、まだいけるでしょ?

そういう1人1人の少しずつのプラス、「あなたがあってのコンサドーレ」になったら、このクラブ、まだまだまだまだ先が楽しみにできるはず。こんな性善説みたいな話でいいんでしょうか。でもせっかくの生きがいの一つなんだから、そういう未来をみんなで見たいじゃないですか。そういうことが少しでもできる来シーズンにしたいかなって。

以上、ノープラン作文でした。 

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この記事は北海道コンサドーレ札幌Advent Calendar2019  用の記事です。

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夢は叶って、そして叶わなかった

 コンサドーレを、タイトルのかかった試合で応援するのは自分の長年の夢だった。

 

 決勝戦を見るたびに、どうやったらこういう舞台に立てるようなチームになるんだろうかと思っていた。日本代表がいっぱいいるようなチームにならなきゃダメなんだろうか。サポーターがいつもあふれるようなチームにならなきゃダメなんだろうか。スポンサーがいっぱいついて、いつも何億もの年俸をどんどん払っていけるチームにならなきゃダメなんだろうか。歴史のある名門チームじゃなきゃダメなんだろうか。いろんなことを考えて、当時のコンサドーレには足りないものが多すぎた。俺の生きている間に決勝に進む日が来るんだろうか、なんて考えた。

 

 うらやましかった。コンサドーレは、絶対にここにいるチームには負けない、すごく素敵なチームなのに。日本一素敵な街にある、こんなにかっこいいチームなのに。どうして資金がないんだろう、どうして弱いままなんだろう、どうしていい選手がすぐいなくなっちゃうんだろうと思い続けてきた。どうにかしたかったけど、現実のコンサドーレは、J2かJ1の最下位で、貧乏なチームだった。1000万円以上の年俸をもらっている選手は「高給取り」だった。自分たちと彼らには大きな差があって、サポーターの自分たちにはどうしようもなくて、もどかしくて、悔しかった。

 

 外から見ている人たちにはミシャ就任で一気に飛躍したように見えるかもしれないコンサドーレだけど、自分たちから見たときには一つ一つ積み上げてきたように感じる。宮澤、荒野、深井、進藤、菅といった生え抜きやユースの選手は、弱いときのコンサドーレを知っている土台だ。野々村社長が就任し、土台を土台で終わらせない資金力が出来てきた。生え抜きの選手たちを河合、石川、早坂、小野、稲本、菅野ら経験のある選手が育ててきた。そこに三上さんが性格の部分まで調べて連れてきた移籍選手たち、外国籍選手たちが力を加えてくれている。

 

 決勝は、こういうクラブじゃないと出られない、というものではなかった。今までの自分たちの、コンサドーレの集大成だった。自分たちの歩みを突き詰めたところに、自分の夢見てきたファイナルはあった。

 

 選手たちは今持っている力をすべて出した。目を覆うような危ないパスミスもあったし、すげえじゃんと思えるような素敵なプレーもあった。いつものコンサドーレの選手たちであり、いつもよりちょっとばかり気合が入ってもいた。自分たちも、最初から最後までいつものように、でもいつもよりはちょっと気持ちが入って応援できた。ピッチ上とスタンドとが呼応した、素敵なチームだった。日本全国のサッカーにかかわっている人たちに、どうだよ、俺たち最高だろ。これがコンサドーレだよ、これが俺の愛してやまない、俺がずっと見てきたコンサドーレなんだよ、って見せたかったチームがそこにあった。

 

 でも結果は及ばなかった。間違いなく今の最高のコンサドーレは、負けた。すぐそこに勝利があったかもしれないが、足りなかった。チームとして戦った自分たちは、間違いなくチームとして負けた。

 

 でも、おかげで新しい夢が出来た。いつか近いうちに、優勝のかかった試合にもう一度来る。どんな形でもいいからそれに勝つ。今回届かなかったタイトルを取る。もう、生きている間に来れるかななんて思わない。

 コンサドーレは、俺たちはそれに値する。

さよならだけが人生か

 ルヴァン杯の準決勝を勝利した後、いろいろともの思う日々を送っている。一つは、本当によかったな、とうとうここまで来るクラブになったんだなというしみじみとした喜びと感動である。もう一つは、これまでの選手やスタッフや仲間のこと、来たし方を振り返る気持ちだ。前者はいっぱいTwitterに垂れ流しているので、今日は後者のことについて書きたい。

 

 

 自分が関東に来てからコンサドーレの試合を観に行った最初の記憶は2005年だ。日産スタジアムで、横浜FCとの試合だった。上里一将がなんかすごいミドルを決めて勝った。2006年もやっぱり横浜FCとの試合を見た。今度は三ッ沢だった。ロスタイムに曽田雄志がトゥイードに競り勝ってヘディングで決めて勝った。味スタでヴェルディとの試合も見た。これもまた大塚真司がすごいミドルをぶち込んで勝った。一人で味スタへ行き、ガラガラのゴール裏の中央より後ろの方でまったりと座って観戦し、帰りの京王線であの16番のミドルすごかったな。空いたコースにきれいに決まったな、何て名前の選手なんだろうか、とiモードで調べたのを今でも思い出すことができる。

 

 自分はサッカーが大好きだったし、Jリーグも93年から見ていたし、コンサドーレも設立当初から応援していたが、部活だの学業だので忙しく、札幌にいた頃も現地で観戦するのは年2,3試合、という人間だった。ウーゴ・フェルナンデス時代も岡田武史時代も柱谷哲二時代も見ているが、2004年は全く見ていない。実はJ2最下位を知らないのである。試合結果には注目していたが、遠征など考えたこともなかった。選手の名前も全員は知らなかった。それこそ大塚真司さえ調べたくらいだ。(ただ何かで山形時代の大塚は見ていたのでアイツか!となったことは覚えている)東京にいながら、行ったことのあるスタジアムは味スタと国立と日産と三ッ沢フクアリだけであった。

 

 そんな自分を一気に引きずり込んだのは2006年の日立台中山元気のクソダサかっこいいガッツポーズ)と、まさかのベスト4に進出したあの天皇杯だった。前年の秋に1度オシムジェフが見たくて行ったことがあったとはいえ、当時の自分にとって2回も1人でフクアリへ行くのは冒険のようなものだった。相川進也のダイビングヘッドで千葉に勝って、次が新潟戦だった。

 

 一緒に飲んだことある人には何度か話している話だが、当日の自分は高揚していたのかもしれない。朝、新木場駅コンサドーレサポーターの老夫婦(と言っても60代前半くらいだったとは思うが)に「一緒に行きませんか」と話しかけ、一緒に京葉線に乗ってフクアリへ向かった。砂川誠の2得点と佐藤優也の自作自演のPK戦の末試合に勝ち、しかし冬の雨の寒さに震えて帰りの京葉線に乗ると、行きに出会ったご夫婦にまた出会い、「よかったね!次の準々決勝、仙台行くよね!?」と奥さんに話しかけられた。そしてその言葉にまんまと乗せられ、バイトで貯めた金で人生初の『遠征』をしてしまった。さらにネットで調べて、翌年始のコンサドーレ関東地区後援会の総会に参加し、たくさんの『ビョーキ』な皆さんに出会ってしまった。そして翌年の開幕戦、ムーンライトながらで京都へ連れ出されるのである。

  

 「さよならだけが人生だ」、と訳された詩の一節があるが、あの日自分を遠征沼に引きずり込んだご夫婦に、以来会ったことはない。関東の仲間にも、疎遠になってしまった人もいる。他界してしまった方もいる。サポーターだけではない。2006年の天皇杯を戦った選手たちで、今もチームに残っているのはU-18コーチとしての砂川誠だけだろう。流れの早いサッカー界の時間において、選手やスタッフはすぐに変わっていく。今年のチームも、3年後には何人が残っているのかなんて、誰にもわからない。「さよならだけが人生」なのだ。

 

 しかし、あのご夫婦がいなかったら、あの時天皇杯を3つも4つも勝たなかったら、あの時関東の『ビョーキ』な先輩方が自分を迎え入れてくれなかったら、自分はおそらくこうやって応援していない。サポーターの中にもチームが強かった時に注目し始めた人もいるだろう。誰かのプレーで引きずり込まれた人もいるだろう。友人や恋人に誘われて、以来応援し始めた人もいるだろう。そう考えると、これまで選手たちも、監督たちも、スポンサー様も、仲間たちも、自分や誰かやクラブに、時にそれは賽の河原の石積のようだったかもしれないが、何かしらを足して、今ここに我々が、素晴らしいファイナリストとしているはずなのだ。

 

 願わくば、何かを加えた全ての仲間たちが、コンサドーレを見てきて、コンサドーレと契約した過去があって、よかったと思える土曜日でありたい。過去にコンサドーレにかかわったすべての人の思いが結集したスタンドが見られる土曜日でありたい。それを受け止めて選手たちが躍動する土曜日でありたい。そうなったときにきっと、さよならだけが人生だったとしても、それがあったからこそのコンサドーレだったんだ、と言えると思うから。