ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

声出し応援運営検証デー

 試合内容は、あんまり触れたくないのでスルーするとしてw

 

 どういう状況であれ、やはり試合に対して選手まで届くような声を出して反応できる、というのはいいものだ。先週などと比べれば涼しかったとはいえ蒸してたし、不織布マスクをしながら応援するのは本当にきつかったけど、当分声出し応援ではマスク着用を要求されることにはなるだろうし、仕方ないかな。

 声援を取り戻したという感慨は多少あったけど、感動はなかったというのは正直なところ。あるべきところに戻る一歩目を踏み出したとは思う。

 

人にもよるとは思うけど、自分は同じ不織布マスクでも口元にスペースが出来るタイプの奴(↓商品はこれじゃないけどこういう形の奴)

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を利用したりしたことで少しは息がしやすくするようにした。けど、人によってはこう言うタイプだとマスクが小さすぎるとかでずり落ちてきて難しいというのもあった。正直息はどうしても切れやすくなるし、水分補給を多くしたりして休憩をはさむとか、歌えない時は手拍子とか跳ぶとか、なんかそこそこ織り交ぜて工夫するのがいいのではないかなと思った。

 

 ほんと、活躍した選手の名前を呼んだりしたかったよ…今日のだと何も出来ねえじゃん…

案外わかりにくい参議院選挙の投票について

  自分は比較的政治への関心が高い方の人だと思うのですが、「参議院選挙は割と影が薄いなあ」と思うのも事実。衆議院の優越があるし、しかもその衆議院では現在自民党が単独で安定多数の議席を確保しておりますからね、参議院選がどうなろうと「世論を示す」以外ではそんなに影響がないのもまた確かなのでわかるんですけどね。

 

 それで「影が薄い」っていうのを思うもう一つの理由がありまして、皆さん参議院選挙の仕組みってちゃんとご存知でしょうか?衆議院の方は、そこそこ有名だと思うんですよ。小学校の社会ですら「小選挙区比例代表並立制」という小学生にはよくわからない言葉を覚えさせられたりしますし、中学校や高校あたりでは「ドント式」という比例代表の当選者の決め方なんかもやってみたりしますよね。じゃあ参議院ってどういう方式で当選者が決まってるのか、言えますか?っていうとたぶん衆議院より圧倒的に正解率が低いんじゃないかと思う。ということでとりあえず主義主張とかは置いといて「参議院選挙ってどういう風に決まってるの」ということを勉強しましょうというエントリです。なるべくわかりやすく説明していこうと思いますので、しっかり勉強して投票に行ってくれると嬉しいです。

 

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ロングスパンで

 連日報道されるウクライナ情勢に心を痛めているのは自分だけではないだろう。日本で言えば先の大戦というのは約80年前の第2次世界大戦のことである。我々は平和な時代を生きてきた。もちろん世界ではその後もベトナムだの中東だので戦争はあったのだしルワンダでは虐殺も起こったしで、必ずしも平和でなかったことは知識としては知っているのだが、今回ほど「平和じゃなくなってしまったな」「第3次世界大戦とかもそのうち起こってしまうのかもしれないな」という思いになったのは初めてかもしれない。

 単純に平和が失われただけではなく、経済的な悪影響も大いに心配だ。収入が上がっての物価高ならまあ仕方ないと思うのだが、収入は変わらない(ないしは少し減った、先日行った確定申告によればだが)のに物価だけ上がるとなればこれはただ困窮するのみである。もちろん自分だけがそういう状況にあるわけではなく、周りの多くの人たちもそうなるのだから、金は天下の回り物である以上、自分のところに回ってくるお金も少なくなることは必然の道理であるが、到底明るい気持ちにはなれない。

 オミクロンになってまん防も終わりになりそうなコロナも、去年の11月ごろとは状況は全く異なると言わざるを得ない。少なくとも毎日の感染者が東京都内だけで数千人いる中では、まん防が続こうが終わろうが、という感じはある。自分の場合は当初から別に引きこもって暮らしているわけでもないし、ワクチンは打って(先日3回目を打つことが出来た)手洗いうがいはしたうえでなるべく普段通りに過ごそうと思っているし、それで感染したわけでもないので今後も続けていこうと思っているが、まん防が終了したとしても特別気分的に晴れやかな状態にはならないし、多くの人もそうだろうと思う。

 これでコンサドーレが開幕から4連勝でもしていれば、それはそれ、これはこれと思えたのかもしれない平和ボケな自分なのだが、残念ながら4分である。負けていないといえば聞こえは良いが、勝ててもいない。試合内容的にも「勝てたのに引き分けてしまった」のは先日のマリノス戦くらいなもので、他はなんとかかんとか引き分けたかな、という方がふさわしいように感じる。

 

 これらについて一つには、考えても仕方がない、という一種の諦観がある。世の中の多くのことは自分が何かをコントロールできるものではない。自分がコントロールできるのは自分のこと位なもので、それとて仕事の収入は先ほども書いたように周囲の金払いの良さ、つまり景気にしっかり影響されるのだから、私が何かをどうすることが出来るわけではないのだ。

 一方で、日本に生を受けて高等教育を受けたということだけで世界的にはトップクラスに恵まれている自分が、コントロール出来る出来ないにかかわらず世の中の事象をなんとかしようと思ったり、考えずにいるということ自体が良くないことだ、とも思う。そうはいっても事象に対する高度なインテリジェンスを持っているわけではないので何かできるわけではないのだけれど。しかし考え、何らかを言わないのは罪ではないのかと。

 

 全然話が違うようだけど、自分はなんだかんだで人類を信じているところがある。正確には人類の進歩を信じている。技術の面では当然そうだろうが、社会のありようでもそうだと思う。例えば18世紀の産業革命時のイギリスは世界に冠たる大国だった、しかしその時にイギリスの労働者の扱いがいかにひどいものだったか、世界史の教科書で読んだことがあるだろう。プーチンが今話しているようなことは今なら独裁的としか言いようがないだろうが19世紀なら民主的だったといえる。アパルトヘイトなんてものは1994年まで存在した。日本でも男女雇用機会均等法が成立したのは35年前だし、個人情報がまともに保護されるようになったのは2003年以降の話である。たまに昭和レトロとかいって昔を懐かしむようなものもあるけど、じゃあ周りの大人の男性がみんな喫煙者で、排気ガスはモクモクしていて、個人情報なんかろくに保護されていなくて、男女差別も(今もあるにしても)ずっと多くて、交通事故で亡くなる人も今よりずっと多かったという時代が、果たして本当に今よりよかったのかってことだ。

 我々は確かに右肩上がりの時代には生きていない。いい変化だけではないだろう、アップダウンは必ずある。去年より良くないな、5年前の方が今より良かったな、そういうことはいっぱい起こる中で今後生きていくことにはなるのだと思う。でも、10年単位、30年単位で見たら、絶対に10年前より進歩したところにいる、30年前より総体としては素敵な社会に生きている、というようなことは信じてもいいんじゃないかと思う。少なくとも過去の歴史はそう言っている。

 

 ウクライナも、コロナも、景気も、コンサドーレも、ちょっと見る時間軸を変えて、長期的なスパンで見れば、もしかしたら昔よりはずっとマシかもしれないし(少なくともコンサドーレは間違いなくそうだ、10年前はJ1で勝ち点14、開幕から1分け7敗の年なのだから)あるいは今はちょっとダウンな時期なだけで、この後のアップによって以前よりずっといい場所にいけるのかもしれない。ウクライナの人たちも、コロナについてもそう思えるような今後になったらよいと思うし、あまりダウンを大きく感じさせない今後であることを祈っている。