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ぉゔぇ記

好きなことを好きなように書きます。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」感想

大変読みやすく、3時間ほどであっさり読めてしまいました。
以下ネタバレになるかもしれませんので未読の方はご注意ください。あ、1つだけ。
「たさき」ではなく「たざき」です。























 つまり誰にでもある話なわけだ、表面上は。誰だって何かを得る代わりに何かを失って、あるいは選んでいるようで選ばされていて、そしてその失うこと、選ばされていることにショックを受けつつも、それを乗り越えて、あるいは乗り越えたように見せて、年を取っていく。そういうお話。大抵の場合それは人間関係なのだけど。表面上はそれだけの話だから、すごく簡単。だから共感しやすいし、読みやすかった。
 

 もう少し深く考えるとこれは生きるためのエネルギーの話(=色彩)なのだ。と言ってもこれは僕の解釈にすぎないのだけど、別れや選択の経験をいっぱい積み重ねた時、現世の人同士の営みについていけなくなった時、別れにショックを受けないように、自分を守るようになる。それを重ねると、人生はそういうものだ、と悟る。そして悟ると、ありとあらゆるものが「平べったく」、「一つに融合して」見え、自分のコレまでの人生が「薄っぺらで深みを欠いた」ものに見える。そしてそうなると、人は「比喩的に死ぬ」ことになり、残りの人生は通勤と同じような、さして有意義とは言えない時間ということになるのだろう。その一方で、ここで現世的な生きる活力、「目標」や「帰る所」がある人間は、普通に人生を生きることになる。悟りの境地に達することが緑川の話の「死のトークン」なのだろうし、普通はそこに至るまでには長い年月がかかるのだろう。でも灰田父や多崎は、悟ってもいいかな、というところに若くして行き着いた。それが死のトークンを受け取る資格ということになるのだろう。

 そう読むと、多崎とグループの4人が今それぞれ大きく異なる位置に立っていると読める。当たり前だけど全員が違う人生を歩んできたのだから。アオが一番現世的。だからシロのことを普通に悲しみ、多崎のシロへのレイプ疑惑を少し疑っていた節が見える。アカは今ショックを受けている。自分が暗い海に一人で放り出されたような気分になっているところがある。クロはシロを見てきたから、すごく傷ついて、けど自分を守ることが出来た。フィンランドへと離れ、家族と陶芸を心の支えにすることで生きる活力を得た。そして多崎が4人の中では一番死に近い。ただ、今は生きる活力を沙羅に見出そうとしている。だから悟るところまではまだ行っていない。アオと多崎の話が一番表面的で薄く、クロと多崎の話が一番深く、濃いのはそういう理由なのだろう。そしてシロは、死んで(殺されて)しまった。それは現世のいろんなプレッシャーがかかる中で、おそらくは悟って、死のトークンを受け取ってしまったから。そしてその死のトークンを受け取ってしまった時から、彼女はかつてのように綺麗ではなくなってしまい、そして殺されたのだ。

 別にだからといって村上春樹が「みなさん現世的な生きる活力を持って有意義に生きましょう」なんてありきたりっぽいメッセージを込めているとも思わないけど、普通の人の生き方について書きたかったのかな、ということはちょっと感じたり。